プリント塾

具体的に申し上げるならば…
その塾で定期テスト前に配られた問題と同じ問題が学校の定期テストで出れば解けます。 この時、点は上がっているので苦手を克服したと勘違いを起こさせます。 しかし、後に同じ問題が入試で出ても解けるとはいえません。 それは必要とされる「基本的な知識の裏支えとなる知識」が身についてないからであります。 本当に入試だと解けないのか疑問を抱かれた方は、 一度解いた問題を3、4ヶ月後に解いてみてください。 もし解けなかった場合は、知識が定着しておらず、 入試でも解けるとはいえないでしょう。 これはつまり苦手が克服出来ていないということです。

数学という教科を例にとりますと…
「基本的な知識の裏支えとなる知識」を身につけるとは、 習うべき公式を覚えるのではなく、 「公式の意味を理解し、使いこなせる」ようになることです。

この公式が必要なのか。無いとどうなるのか
この公式は適用すると結果として何が出来上がるのか
この公式は何を根拠として、作られたのか
この公式は他の何の公式と関係するのか

この を、公式の意味(≒訓読み)として書き表わすならば、 短いもので1ページ、長いものなら2〜3ページの解説が必要とされます。 これは理解するのに大変な労力がかかるのであります。

プリント塾だけでなく、大手の予備校も同様ですが、 「問題を解くことが最高の勉強(=苦手の克服)」 とばかりに、1行の問題文と、先の についての記載のない略式の解答で、
「問題が解けるようになる」 「解き方の説明は載っている」 で、苦手を克服したと済ませてしまうならば、その公式の意味は身に付かず、 いくらその塾へ通っても苦手な単元は苦手なまま受験にむかうことになります。

「解答を見てわからないところは聞いてください」
「解答を見てわからないところは生徒各自が持っている高校の教科書・参考書で調べてください」
…と言われても、 教科書は教師用でもない限り、これら の説明が載っていることは少ないです。 また、「持っている参考書で調べろ」と言われても、 問題集ではない、参考書、 つまり数学の字引にあたるような書物を生徒が持っているようなことはあり得ない話だと思います。 そのため「解答を見て○○してください」という助言では、 なぜその解答にその公式が用いられるのかが言及されていないので、 生徒は公式の意味を理解する上で必要な内容に触れることができません。
『公式の意味を理解しているので問題文を読んでどの公式を使えばいいかわかった』
『この単元で出題される問題は時間がかかるが必ず解けるようになった気がする』
という苦手克服の「解決」には全く繋がっていません。

「問題を解く」→「わからない」→「答えを覚える」 という手順は誰が挑んでも出来る安易な方法論でありますが、 問題の成否にかかわらず 「なぜそうなったかを調べる」という手段に必要な技術・方法論は、 教師・教える側が示さない限り、生徒任せで身に付くような安易な内容ではありません。
『なぜこの問題が正解できたのか』
『この解答はいきなりこの公式を用いているが実際解くときにこの公式を思いつけるだろうか』
と言ったことは、生徒に 「解答を見て○○してください」と押しつけても調べられるような類の話ではありません。
(プリント塾や大手の予備校ではこうした調べるための技術・方法論を教えることなしに安易な方法で苦手を克服したと思わせているのです。)

こう申しあげましても…
「公式をつる覚えして何が悪い」
「わからない問題の解答を覚えて何がわるい」
と仰るかたが大半だと思いますので、補注します。 その数学の単元に$10個$の公式があり、その$10個$の公式の内4個を使って、ひとつの入試問題が出来上がっていたとします。同じ公式を2回カウントしないとして、そこから出題される可能性のある問題数は $10 \times 9 \times 8 \times 7 = 5040$個
$5040個$ の問題を作ることが可能です。

もし、その単元に、 お手元のプリント、若しくは問題集に$100個$の問題が載っていたとしますと、 そこで身に付く知識の量は、先の $5040個$ の内、$100個$ということになります。 \[ \frac{100}{5040} \fallingdotseq \frac{100}{5000}= 0.02 \] 総量のおよそ$2%$ということになります。 「習った問題が出た」「解けた」は、$2%$です。 つまり大学受験を見据えてプリント塾へ通うと$98%$ロスをします。

(知識の定着→問題演習であって、問題演習→知識の取得ではありません。)
知識が身に着く前に問題演習をするならばその効果はほとんどなく、無駄足となります。 問題演習が効果を果たすのは、 持っている知識から解答の道筋を考える時間が短縮されるといったところであり、 その知識が身についてない限りは短縮も何もありません。 問題を解くことで基本的な知識を得ようとするならは、 テニスなどでろくに練習もせず、 試合だけで技術を得ようとして一向に上達しないのと同じ結果に至るのです。
(辞書なしで英字新聞を読むくらいの時間と無駄が生じることになります。)

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(参考文献:ホーガン,ジョン(2000)『科学の終焉』筒井康隆監修(竹内薫訳) 徳間書店.
ヤコボビッチ,シンハ・ペルグリーノ,チャールズ(2009)『キリストの棺―世界を震撼させた新発見の全貌』イースト・プレス.)

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