専科

標準的な入試対策

この「標準」という言葉は、どんな生徒であれステップを踏めば、応用の効く知識になる、 きちんとした入試対策するという意味を含んでいます。 退屈とか、カビ臭い対策とか、推しつけがましい対策といった意味はありません。 勿論、蓄積とか歴史といった、その場だけで判断出来ない幅の話を申し上げると、 こういった感想を持たれる方もいらっしゃるようです。 個人がどう思おうと、しなければならないことをする・させるという仕事は、 必要なことをそのまま生徒にさせ目で見て、 生徒自身がどのように感情の折り合いが出来るのかは見守るべき、と私は考えます。 つまり、標準的な入試対策とは、「論理」を学ぶということになります。論理的に学ぶとは、 だいたい誰でもこの手順で学べば、学んだことの再現が可能となるという学び方です。 単なる単語の集まりを覚えるのとは異なります。

大手の予備校・塾の広告からは、入試は特別な物、 受験勉強は胸躍る大冒険ファンタジーの始まりのようなイメージをうけるのでありますが、 大学入試はそう特殊な勉強を強いる試験ではありません。 受験勉強は普段・日常の勉強と全く違ったことをするというものではありません。 毎日入試問題を解け、という癖のある勉強を強いる必要もありません。 毎日入試問題を解くと、半年で偏差値は地に落ちます。 この「特殊な勉強を強いる試験ではない」というのは、 例えるなら、数学の問題で「大化の改新の年号を素数に分解しなさい」という問題はでないという意味です。 必ず出題範囲が、数1Aならば、小学校1年から数1Aまでの、どこかの単元に該当する問題が出題されます。 出題範囲が数3のときも同様で、出題は小学校1年から数3まである単元のどこからか出題されます。 合否に日本の歴史を知っているか否かという知識、科目外を含まないという意味になります。

詳しく申し上げますと、この「範囲から出題されます」とは、出題された過去問はすべて、 その解答を作成すると、例えば数1Aならば、解答の1行1行すべてが出題の範囲できちんと分解され、 「大化の改新」といった数学以外の知識が1行も解答として残らないという意味です。 つまり、数学として、習ってもいない範囲からの出題は大学入試数学では出ません。 これを割って出題をして来たら、それを解く生徒は受験科目が数学であるという認識が出来ません。 はっきりとした対策も取れません。大学入試はそういうことを見る試験ではありません。 「これくらいの問題が解けるならば、入学しても、うちの大学でついて行けなくなることはないだろう」 という数学の基礎(基準)を見るのが大学入試です。 普通の人より特に優秀で特別な能力のある人間を合格させようという意図はありません。 闇雲に難しくなることもありません。そもそも誰も解けない問題はそもそも出題しても、合否判定には関わって来ません。 (勿論、名工大はこれに反して、大学で習う数学の知識を問う出題をして来ますが、 それを以て合否の判定に影響することはありません。名古屋市立大学より少し上、 名古屋大学より随分下で、大学で習う数学を出題をしてもそれを解ける人間は現れません。 詳しくは申しませんが、名工大も習った範囲でしか採点が出来ないのであります。 難しい問題が出ていても、その問題を正解しなければ、受験生が合格しないのかとは、 全く別のお話です。この難しい問題を正解しなければ…は、別の項で扱っています。)

きちんとした基礎を積む、標準的な入試対策のお話の続きですが、わかり易くする為にこんな例えを致します。 知らない場所を尋ねるとき、 大通りをきちんと歩いて行って、自分が何処で曲がるのかと、曲がった先の目印までを頭に入れて歩き出すこと。 誰もがここまでならきちんとわかるところまでを、入試手前の標準的な目標とする対策をいいます。 角をひとつ曲がった先の目印まできちんと筋道が立てられるならば、 そこまできちんと達することが出来るのであれば、その先、もうひとつ。 ひとつだけ曲がり角の多い目標に達することはそう難しい話ではありません。 この曲がり角がひとつ多いのが、難関大の入試問題です。 最初から2つ曲がった先まで見通す勉強をし、それを完成できるほど、人間は賢くはないです。 筋道の複雑な過去問を日常の練習にまで持ち込む意味はありません。

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